【备份】如果日本当年把满洲卖给英美,朝鲜卖给犹太人,拿钱回岛建设,二战会咋样?

シミュレーション

  • 日本が持つ満州の利権を米国・英国に売却。
  • 日本が朝鮮半島をユダヤ人に売却。ユダヤ人の国を建国させる。
  • その売却した金で日本を近代化。

果たして、第二次世界大戦はどうなる?

ロシアの租借地から日本の租借地となったわけだが

実効支配したから他国に売却するという話だよね?

ね??金にならないと分かったかな?

日本が持つ満州の利権を米国・英国に売却。

→成立する要素が無い。端金で他国の租借地とするのは可能だが国費を投入し続けた国内世論が許さないだろう

日本が朝鮮半島をユダヤ人に売却。ユダヤ人の国を建国させる。

購入側にそれだけの金が用意出来ないので無理

その売却した金で日本を近代化。

最初に書いた理由により端金にしかならないので無理

果たして、第二次世界大戦はどうなる?

満州国が正しくロシアの租借地に戻りロシア侵攻も早まり

日本の分割統案どころかロシア領になるんじゃなかろうか?

鉄道史の連中が殴り込んできそうなスレだなおい

多額投資して好き放題…かなりの開発を行ったのが満州と朝鮮半島だぞ

東洋のユダヤ人の住んでるところに本家のユダヤ人を住ませるのか?

ウケる

将来、日本は大きな後悔をするだろう

日本がありえないほど物分かりがよければ

満洲にアメリカイギリス軍を駐屯させて

共産主義の南下を防いだはず

中国は中華民国のまま民主化を達成したかもしれない

朝鮮戦争やベトナム戦争は起こりえない

樺太も千島列島も日本領

ユダヤ人の国を建国させる。

紺碧の艦隊でシベリアに建国させるってネタがあったなあ

「約束の地」で国を作りたいんだから無理でしょ

いつ、売却するか時期によって前提が変わるんじゃね。

日露戦争後ならハリマンとの約束もあるしスンナリ売れたかもよ。

売却のメリットは、海外から借りた日露戦争の戦費を返すことが出来たかもしれないことかな

昭和61年までポンド建てで返済に82年かかった

赤字国債が無くなるのは日本にとっては良いことだろうし

国債の大部分はユダヤ系が買っていたから朝鮮半島と引き換えなら安いものかもな。

本来なら、満州と朝鮮半島に投下する国費を日本経済に回せたから景気が良くなっていたかもしれない。

米国との仲も悪くならなかったかもしれないが

ただ、朝鮮人のテロは相次ぐだろうな。

ユダヤ人の国を建国させる。

紺碧の艦隊でシベリアに建国させるってネタがあったなあ

「約束の地」で国を作りたいんだから無理でしょ

正確にはアフリカでやろうとして

「パレスチナでやるんじゃーい」という連中が台無しにしたんだが

ソ連でもユダヤ自治州を作ったし

ナチスもソ連もユダヤを嫌うから

もう少し早く実現したらかな?

紺碧の艦隊でシベリアに建国させるってネタがあったなあ

「約束の地」で国を作りたいんだから無理でしょ

現実世界で「河豚計画」ってのがあって、紺碧ではこれを下敷きにしてる

日比谷交番が燃えるくらいじゃ済まないだろうね

日本が赤化してた危険性すらありそう

日本がありえないほど物分かりがよければ

満洲にアメリカイギリス軍を駐屯させて

共産主義の南下を防いだはず

中国は中華民国のまま民主化を達成したかもしれない

朝鮮戦争やベトナム戦争は起こりえない

樺太も千島列島も日本領

そうなんだが

最大の問題は国士気取りの連中がいる。

ユダヤ人国家を作るにしても、成立の見込みがあるのは元々白人率の高い北満くらいでは

白系ロシア人を中核に反共国家を形成できればソ連との緩衝地帯にはできそう

満州国の開発に外資を導入するという方策自体は、1930年代後半の日本で正式な政策とされていたそうでして、例えば1937年の近衛内閣においては、「満鉄」に代り新たに満州開発を担うため設立された「満州重工業株式会社(満業)」が、満鉄から譲り受ける非鉄道部門(石炭、鉄鋼等)の特殊会社と準特殊会社に投資する6億4100万円のうち、2億円は「満業」の母体となる日産財閥が提供し、不足分は「米国資本」から調達することが決められていたそうです

また、自動車、鉱業、航空機部門開発に必要とされた総額12億5000万円については、日産が3億7850万円を投資、残り7億5000万円を外資に頼るとしていたほか、満州開発成長の骨子となる産業開発5ヶ年計画に必要な資金の総額も、日産が9億6100万円、外資が14億2100万円という分担で確保する見積りであったんですとか

つまりこの時点では日本の正式な国策として、満州における重工業開発の発展は、外国、とりわけアメちゃんからの資本の導入に頼ると決められていたんだそうで

そもそも「満業」が日産財閥を母体とし、その総裁だった鮎川義介氏がそのまま満業のトップに移行したのも、氏の持つ米国とのコネクション、及び外資導入の手腕を買われてのことであったそうなんですが、例えば鮎川氏は満州国総務長官だった星野直樹さんに

「満州の重工業開発には、アメリカの機械を入れなくてはならない。これには大金がいる。そのためにはアメリカ資本を思い切って入れる必要がある」

「満州の開発にはこれを眼目としなければいけない。それには担保がいる。その担保は満州国の資源より他にない」

…なんて語っているそうで、言わば満州の資源を「質入れ」して米国の投資と技術を呼び込み、それによって満州の近代化を図る…というのが、「満業」スタート時点での基本的方針であったようです

鮎川氏の自伝によれば、単なる債権でなく、満業という会社への株式投資に米国資本を呼び込めれば、より深い関係を築くことが出来、それにより日米間の戦争回避にも繋がる…という目論見すらあったそうなんですが、そうした「米国資本」導入の一環として、ロシア系ユダヤ人のマクスウェル・クライマン=サンに米国投資銀行との交渉の仲介を依頼した際、同氏より「もしも満州国がドイツからのユダヤ人難民に門戸を開いてくれるのであれば(略)クーン・ローブ投資銀行や他のユダヤ系金融機関から、満州重工業向けの融資を斡旋しよう」

…なんて提案を受けているんだそうで

ユダヤ難民から満州国に役立つ人材を確保出来るかもしれないという観点もあり、鮎川氏の方も大分乗り気であったというこの交渉、結局WW2の勃発により立ち消えになったそうなんですが、展開次第ではユダヤ難民の受け入れを「質草」の一つに、満州開発資金を米国から引き出すことが出来ていたかもしれないですなあ

アメリカは日本の奴隷化を宣言していたんだから妥協した瞬間に日本は植民地化されて男は奴隷、女は娼婦にされていた

戦うしかなかったんだよ

日本がありえないほど物分かりがよければ満洲にアメリカイギリス軍を駐屯させて共産主義の南下を防いだはず

シベリア出兵でソ連よりも、大陸進出野心丸出しな日本に不快感持ったアメが乗ってくるかなぁ

第二次大戦後のパックスアメリカーナの時代ならともかく、日露から第二次大戦前夜辺りまでのアメリカってそんなに利権獲得のための軍事進出には積極的なイメージがない。モンロー主義で

よく言われるように真珠湾奇襲されるまでは欧州戦線への参加にすら国民の関心ほとんどなかったし満洲に軍隊派遣するとは思えない…

おとなりの中国が大混乱している間は比較的安定している日本が欧州の利権の保護役になってくれるかも、みたいな空気はあったのよね

それがだんだん中国がまとまり始めると、同じ国の中でもアジアのパートナーを日本にするか中国にするかで分かれ始めて・・・

ようわからんが

朝鮮半島にエルサレムを含めないと

無理くね?

ていうか朝鮮半島の原住民は誰がどうする想定?

国土誘致の仲介国たる日本が引き受け??

何時にどれくらいかによる?

少しは中東が安定するし

ユダヤ資本がアジアに有るのも悪くない

でもソ連が妨害するはず

バルフォア宣言...

バルフォア宣言がイスラエル建国まで行き着いたのはユダヤ人(の一部支配層か何かはしらんがとにかく)が聖地奪還の強力な意思を有していたからであって条件が違えば異なる結果になっていたであろう、

満州の重工業開発には、アメリカの機械を入れなくてはならない。

工作機械に関しては逆になった

どう贔屓目に見ても精々二流でしかない当時の日本の工作機械の最大の輸出先は満洲

1938年秋頃の満州国には1万1千台ほどの自動車が有ったそうなんですが、内63%が米国フォード社若しくはGM社製のアメ車であったりしたそうです

また、1939年の在奉天米国総領事ラングドン=サンの調査によると、満州国で走るガソリン自動車約4千台中、米国車が実に90%(3千600台)を占めていると見做されているんだそうで

米国から満州国への輸出額は、1931年が1千260万円だったのに対し、1938年には9千310万円と大幅に伸びており、米上院議員のジェラルド・ナイ=サン(孤立主義者として有名な方ですな)などはこうした「満州輸出ブーム」のデータを元に、我が国の国務省は日本の中国及び満州における米国商業権益の侵害を誇張している!

なんて、時の国務長官コーデル・ハル=サンを批判して居たりするそうです

ラングドン=サンの調査では、他にも満業顧問の米国人から総裁の鮎川=サンが精力的に米国からの技術者雇入れ、資本や機械の導入に動いている様子なども報告されているものの、結局1940年の米内内閣の崩壊により、頓挫したんですとか

因みにそうした満州国が米国車で溢れ、「満業」と鮎川サンが米国資本の導入を模索していた最中の1938年3月8日に、ドイツ国内の迫害から逃れて、ソ連経由で満州国まで逃れてきたユダヤ人の一団が、国境で満州国外交部により入国を拒否される、という事件が発生したそうなんですが、この時ユダヤ難民の受け入れを強く働きかけ、実現させたのが、当時ハルビンの陸軍特務機関長だった樋口季一郎陸軍少将であったんだそうで

難民の受け入れが当初渋られたのは、日本の友好国ドイツへの配慮故で、実際樋口氏の行為には早速独側から抗議が寄せられたそうなんですが、それを跳ね除け、その後も満州へのユダヤ難民受け入れを続けた氏はその理由について、

「ヒットラーのユダヤ追放に反撃を加えたのは、純粋に私の人道的公憤に基くものであったが、私は日露戦争(略)におけるアメリカユダヤの対日協力に思いを致し、いつか必ずユダヤ人との交渉のあるべきを予察し」

「いささかその道をつけ置くを必要と考えたものであり、これを極東において対ユダヤ関係の緊密化を希望したのである」…と述べていらっしゃいます

要は満州においてユダヤ難民を支援したのは、人道的なものと、将来の対ユダヤコネクション構築という二つの理由有っての事だったようなんですが、その一方季一郎氏の孫の隆一氏によれば、「祖父がこんな事を話していたのを覚えています。『自分がヨーロッパに滞在していた当時、有色人種たる日本人に対する差別が歴然(略)下宿を貸してもらえないなんて話は山ほどあった。そんな中で、日本人に家を貸してくれたのは十中八九、ユダヤ人だった。日本人はユダヤ人に非常に世話になっていたんだよ』と」…なんて事も仰っていたそうです

日本と満州にとっての冷静な実利計算は当然あっても、決め手となったのは若き日のよき印象だった、というコトなんでしょうか…w

日産自動車もアメリカの自動車企業と合弁で立ち上げたんだし、その経験を満州でもっと大規模に活かすつもりだったんだろうね

まあ、実際にはうまくいかなかったわけだけど・・・

調べてみると「河豚プラン」はあくまで例えであって正式な名称じゃなかったみたいだけど、河豚の「毒」に当たる部分って何だったんだろね

やっぱりドイツとの関係悪化?

満州には自動車会社が2社誕生したものの

1社は内地の標準形式自動車をノックダウン生産しようとして複数社から部品を取り寄せたら

当時の技術水準ではメーカー同士の部品が噛み合わず碌に組立もできないままご破産

もう1社は開戦で工作機械が調達できず修理や廃車の再生でお茶を濁し続けたりと

かなり散々な結果に終わってしまってますね

河豚の「毒」に当たる部分って何だったんだろね

当時流行していて、しかも今も残っている(特に経営者層に残っている)ユダヤ陰謀論のこと。

ユダヤ人が陰謀を巡らし、世界支配を狙っているという陰謀論。

特に、ソ連成立のときに、多くのユダヤ人が帝政打破に参加していたから、赤化とともに語られた。

ソ連もそれがわかっていたから、トロツキーらユダヤ人を政権から追い出した。

某、航空自衛隊のエライ人が引っかかって妙な論文だした元はこれ。まあ、彼はユダヤの方は注目していなかっただろうけどね。

戦前から、陸軍内の多くの人がこの論を語っていた。

ユダヤ陰謀論を大真面目に語る人はKKKやネオナチと同じような、おかしい人だと思う。

そもそもそんなに大層な陰謀働かせられるようならパレスチナ問題ごときで苦労するようなタマじゃないし、強制労働させられる前に政権取ってるだろう。

ユダヤ陰謀論を大真面目に語る人

過去はともかく、現代でもある程度の説得力が残ってるのは、世界一の大国のはずのアメリカへの影響力の凄さかな…

あれだけ他国に傲慢なアメリカがイスラエルだけには頭が上がらない。それどころか国連で非難されると拒否権まで使う

表向きの理由である、中東で唯一の民主国家

だから、だけでは説明つかんからねぇ

陰謀もクソも

アメリカ国内のユダヤ層勢力がいるからでは

ユダヤ人が陰謀を巡らし、世界支配を狙っているという陰謀論。

狙っているどまりなだけまだマシ。

"実効支配"や治安介入等、欲丸出しのロシア・中国共産党やユナイテッド・フルーツのいざこざや石油に目がない米系資本に比べれば...。

そちらはもはや陰謀ではなく、ただの覇権主義とも言えるが。

そういうのに比べたらせいぜいガリルやウージーやメルカバ装備して、一国の独立維持で四苦八苦してるユダヤの影響力ってもなぁ。

アメリカ国内のユダヤ層勢力がいるからでは

アメリカにおけるユダヤ人口比どれくらいよw

常識的な選挙対策では説明できないくらいの

イスラエル擁護してるから陰謀論が生まれる訳で

ネタニヤフに国務長官がボコられて (物理)、

アメリカが抗議の一つもしないんだよ ?

まあアメリカ・イスラエル関係については色々あるだろうが、ざっくり言えば「ムスリムよりは話が出来る」だろう。

ユダヤ教が開明的と言うつもりは全く無いが、"聖戦"掲げて爆弾テロ起こして、それを黙認する宗教指導者のところよりは比較的、というもの。それなりに技術力もある。

いうてアメリカはクウェートやサウジとも友好関係にあるわけだし、特別イスラエルだけという事も無く。

そらお米の国のトップ企業は

ユダヤ系ばっかりだからなあ…

ユダヤ陰謀論の本では、ロックフェラーもJ.P.モルガンも、アメリカの資本家はのきなみユダヤ財閥とされるからw

明確にユダヤ人の有名人はロスチャイルド財閥ぐらいなんでは?日露戦争のシフもロスチャイルド関係者だし。

Wikipediaなどで調べてみよう…とかいうと、Wikipediaはユダヤ人ジョージ・ソロスの影響下にあるから云々なんて言っていると陰謀論そのものw

アメリカへの影響力は単にロビー活動の結果だろ。それだけ金を出しているんだよ。だいたい日本だってアメリカでロビー活動している。

大体、第二次大戦期だって、アメリカのフォード社のヘンリーフォードが明確に反ユダヤ主義者で、ナチスにも技術援助してたぞ。

杉原千畝がいたリトアニアのカウナスにはアメリカ領事館もあり、ユダヤ人難民は最初そちらに助けを求めた様ですが、冷たくあしらわれて、日本領事館に来たという経緯があります。

アインシュタインの様な頭脳の持ち主か、それなりの資金があるか、ともかく、ユダヤ人だから誰でも受け入れる訳ではなく、アメリカも選別を行なっていてユダヤ人べったりではなかった様子が見て取れます。

樋口季一郎さんは大尉時代の1920年、日本のシベリア出兵の最中にウラジオストクの特務機関員として活動されており、この時も下宿した先がゴリドシュテイン=サンというユダヤ人一家のお家であったそうなんですが、このゴリドシュテイン=サンはNYにいる弟と連絡を取りつつ、自動車の貿易商として、日本とアメリカ軍相手の商売で当時大儲けしていたそうです

一方、樋口氏は特務機関員として、共産革命から逃れてきた白系ロシア人の日本への脱出の手助けなんかにも関わられているんですが、それを通じてロシア人の間でユダヤ人が「革命の黒幕」と見做され、お互いに嫌い合っている事情も知ったんだそうで

氏にとってはシベリア出兵時のこの体験が、ユダヤ人の国際的な繋がりや商売上手のワザマエ、更にはロシア人との複雑な関係等を、彼らとの交流を通じて実地に知った機会でもあったということみたいですなあ

因みに樋口氏がハルビンの特務機関長に着任した1937年、ハルビンのユダヤ人協会会長のアブラハム・カウフマン=サンらの企画により、「第1回極東ユダヤ人大会」がハルビンで開催されているんですが、樋口氏自身の回想によれば

「われらは彼らのシオニズムを認め、ドイツのユダヤ排撃の理由なきを示威した。この大会に、私と機関員(略)が参加したことは(略)人道主義の命令に服したものに外なかった」

「間もなくベルリンから(略)日本外務省に対し『ハルビン市において樋口なる1将官が、日独関係に好ましからざる行動に出ている(略)』と抗議してきた」

「私は(略)ドイツが(略)抗議をなすことは、ドイツが日本を属国視する以外の何ものでもない。ドイツはむしろ非文明的なる拝独行為を即刻中止すべきであるとの趣意書を提出した」

…なんてコトもあったそうです

この「極東ユダヤ人大会」に樋口氏と共に出席し、後に大連特務機関長となった陸軍軍人で、安江仙弘さんという方がいらっしゃいまして、この方もシベリア出兵の際、ユダヤ人問題に触れて関心を持つと、帰国後も独学で研究を続けるんですが、著書の一つでユダヤ人の世界征服計画とされる「シオン議定書」を邦訳して紹介するなどして、当初はむしろ「反ユダヤ」論者の立場であったんだそうで

尤も、その後「シオン議定書」が偽書の可能性が大きいことを知り、また1928年にパレスチナへの視察旅行で現地のユダヤ人と交流を深めると、次第に「親ユダヤ」の姿勢を強めて行き、大連特務機関長に就任した1938年以降は特に満州国におけるユダヤ人保護施策の中心人物となっており、氏の子息の安江弘夫氏の著書では、満鉄調査部に依頼して、ユダヤ難民の為のコロニー建設の具体策なども策定させていたんですとか

収容人口3万ないし7万、平原に位置する自治国家を器とするユダヤ人国家を満州に建設しようとしていたという安江さん、1941年11月1日には、エゲレスのバルフォア宣言支持を国際連盟で表明した内田康哉外相に続いて、「ゴールデン・ブック」にその名が登録されているそうなんですが、その1ヵ月後の12月9日に大連特務機関長の職を解任されているそうです

対米英開戦に踏みきり、日独関係の強化が最優先とされる中で、反ナチス・親ユダヤの安江氏の留任は好ましくなかったようなんですが、実際「親ユダヤ」政策は「親独」路線とはどうしても相容れないものであり、戦間期の米ユダヤ系資本の満州導入がうまく行かなかったのも、一つには満州国の支援がそのままユダヤを迫害するドイツの同盟国日本の強化に繋がるのでは?という、米系ユダヤ人の懸念を払拭しきれなかったから、という事情もあったんだそうで

逆に言えばそうした懸念を払拭できるくらい、ドイツ=サンと距離を取れていたなら、或は「極東ユダヤ国家」も、あり得たのかも知れないですなあ

安江弘夫や樋口季一郎に感化されたのが、ハルビンに移住していたユダヤ人実業家のミハエル・コーガン。彼はそれ以前はオデッサにいたから、まさに屋根の上のバイオリン弾きだ。

ミハエル・コーガンはシベリア抑留で死亡した安江の葬儀を取り仕切っている。戦後は日本に移住し、ゲーム会社タイトーを創設し、スペース・インベーダーという爆発的に成功したゲームを作った。

要するに、日本がゲーム大国になる起源を作ったのは彼。

ユダヤ人単独国家は難しかっただろうけれど、色んな民族巻き込んで結果どこの国も手を出しにくい中立地帯に出来たら面白かったかも・・・

"東洋のNY"もしくは"東洋の人種のサラダボウル"は興味深いが、逆に言えばその"強固なアイデンティティーの無さ"であの地域で今日まで独立を維持するのは極めて険しい修羅の道になるだろうな。

特に45~50年代以降になれば"上"か"下"のどちらかに呑まれるだろうから・・・。

あるいは朝鮮半島自体を独立国にしてさぁ。何事もなく、特に遺恨も作らず運営できればそこそこ歴史ある良い国として、おそらくは変に拗らせず適度な距離を保ちつつ付き合えたのだろうけど、ほら、どこかのバカが後先考えずまとめて無理矢理叩き潰したじゃん?

あの国は後先考えなさすぎ。マスク付ける付けないでデモしてもめて、誰かに扇動されてスナック感覚で暴動起こす国が強大な国力持ってて、

そこが"世界の警察"やらないと今度は覇権主義まるだしで威圧外交して病気をバラまく国がやってくる世界って恐くね?

しかも今になって世界の警察やめたいとかあのさぁ....。

あるいは朝鮮半島自体を独立国にしてさぁ。何事もなく、特に遺恨も作らず運営できれば

ロシアの南下政策無視してない ?

ロシアが満洲までで自重して朝鮮半島は日本側の緩衝国家として容認してれば日露戦争も起きなかったわけで…

ロシアの南下政策

んだねー

日清戦争で獲得した遼東半島を、ロシア「遼東半島は日本にもったいない、俺様のものだー!」

フランス・ドイツ(極東で暴れさせておけば欧州では静かにするだろう)「そうだそうだ!ロシアのモノだー」

三国干渉を経て日本の影響力が弱まった隙をついて朝鮮で親露派がクーデター起こしたり、朝鮮北部の鉱山や森林伐採権をロシアは手に入れ始める。

んで、露は清の義和団の乱に乗じて満州占領。

露のそれ以上の影響力の高まりを良しとしない英国は日本と同盟。

日露戦争へ~という流れですね。

日露で負けてたら露は間違いなく朝鮮半島の権益を欲したでしょうね。

極東での領土拡張を諦めた露が、汎スラヴ主義を唱えバルカン半島から世界へ戦火が広がるのはまた別のお話

朝鮮半島自体を独立国

半島だけじゃ満足できなくて、最後には中国全土を手に入れようとするところまで欲の皮を膨らませてしまったので

地理的に華僑とユダヤ商人が組むか反目しあうかで歴史が大きく変わりそうだ。

この手の話で大戦勃発直前からシミュレートするパターン多いけとっくに手遅れだっての

この手の話で大戦勃発直前からシミュレートするパターン多いけとっくに手遅れだっての

歴史的修正力?みたいなのが入って、何をしても一定の歴史に修正がかかるみたいな「物語」が多いが、実際にどうなるのかは分からない。

物語はあくまで物語であって、そうなると都合がよいからその設定を選択しているだけだ。

実際の歴史は、物理学の量子力学のバタフライエフェクトから、極めて不確実でちょっとした変化からすっかり未来の様相が違ってくると考える方が現在の知見と合致していると思う。

ミハエル・コーガン

コーガン=サンは1953年に「株式会社大東貿易」という会社を作った頃、名古屋の洋酒会社と契約して、日本初の国産ウォッカ「トロイカ」の製造販売を始めているそうなんですが、樋口季一郎さんのお孫さんの回想によると、この「トロイカ」の瓶と当時は貴重品だったバナナの入った果物籠を抱えたコーガン=サンが、樋口季一郎氏に会いに来たことがあったんですとか

お孫さんはこの時初めて、祖父が満州でユダヤ人の保護者であったことを知ったそうなんですが、コーガン=サンに会社の顧問になってくれませんか?と誘われ辞退したものの、貰ったウォッカを嬉しそうに飲むおじいちゃんの姿をみたお孫さん、

「おじいちゃん貧乏なんだから、コーガンさんの会社に入ればいいのに」

…なんて子供心に思ったそうです

(当時はまだ軍人恩給が未支給だったそう)

因みに樋口さん、終戦後にオトモダチになった米軍情報将校さんから「あんさん樺太でソ連軍相手に大分抵抗しなはったやろ?そやさかい、ソ連から何としても戦犯にしろちゅーて要求してきはったけど、なんや連合軍のえらいさんが突っぱねたさかい、大丈夫やで」…と聞かされて、

「それはきっとアメリカのユダヤ人たちが運動してくれたおかげでしょう」

…と答えているそうなんですが、その後来日したコーガン=サンの口から、実際アメリカのユダヤ人協会が、樋口氏の戦犯指定を阻止すべくロビー活動を展開していたことを聞かされたそうですある意味、バナナやウォッカより、嬉しい土産話であったんじゃあないでしょかw

また余談ですが、満州事変前の1930年頃のハルビンに在住していたユダヤ人人口はおよそ1万3千人ほどで、ソ連の政策を嫌って沿海州のユダヤ人自治区から移住してきた人々も含まれていたそうなんですが、先述の通り同じソ連からの逃亡者でも、満州における白系ロシア人とユダヤ人の関係は余り良くなかったんだそうで

1931年には白系ロシア人コンスタンチン・ウラジーミロヴィチ・ロジャエフスキー=サンらにより、ハルビンで「ロシアファシスト党」が結成され、以降過激な反ユダヤ活動も行われているんですが、対ソ工作の観点から満州国および関東軍は割合「ロシアファシスト党」に寛容というかその取り込みを図り、協力関係を築いたため、在満ユダヤ人は上海や天津に移住するなどして減少、1939年頃には5~6千人程度にまで減少しているんですとか

そんな中で1937年に新たなハルビン特務機関長として樋口季一郎氏が着任する訳ですが、氏の在任間もなくユダヤ排撃の露ファシスト党機関誌は休刊に追い込まれ、また特務機関の肝入れで白系ロシア人とユダヤ人合同の公営オーケストラが設立されるなど、あからさまに融和路線に切り替わっているんだそうで勿論背景には、関東軍若しくは日本政府として、ユダヤ人勢力の利用の方策が固まりつつあった事情が有ったわけなんですが、在満ユダヤ人の方々からすれば、ユダヤ人と親しく付き合った経験があってユダヤ事情に詳しく、ナチスドイツの圧力もモノにしない樋口氏の着任は、実に頼もしかったでしょうな

ただ先述の通り、シオニズム運動にも理解のあった樋口さん、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設にも賛成の意を示していたそうなんですが、そんな樋口氏が「極東ユダヤ人大会」に出席して、ユダヤ人擁護の演説までしたという報道がなされた際、ドイツと共に直ちに猛反発の意を示したのが、東京在住のイスラム教徒の代表的存在であった、ムハンマド・ガブドゥルハイ・クルバンガリー=サンという方であったんだそうで

元々帝政ロシア生まれのクルバンガリー=サン、ロシア革命においては白軍側について、満州経由で日本に亡命した後も反ソ活動で日本と協力していたそうなんですが、1938年の日本警視総監安部源基さんの「極東猶太民族大会開催に関する東京回教団長の言動」なる報告書によると

「この世界はユダヤどもに支配されてるわけだけど、日本君独伊と組んで対抗してくれるって約束したよね?特に今エルサレム問題で全世界の回教徒ユダヤとイギリス野郎にブチ切れてるんだけど知ってるよね?ね?ね?」

「ユダヤ共の大会に樋口少将が出席したって聞いたけどあくまで彼個人の勝手な行動だよね?日本君まさか政府として公式に許してなんかないよね?勿論信じてるけどあんな風に大々的に新聞で報道されたらみんなに誤解されちゃうっていうかまさか全世界3億人のイスラム教徒を敵に回(略&意訳)」

…と大変憤慨していたそうです(棒)

因みにクルバンガリー=サンとシベリア出兵時に知り合い、その亡命を助けたのが当時のハルビン特務機関長だった四王天延孝サンという方なんですが、この方は樋口氏らと逆に後に典型的な「反ユダヤ」論者に転じて、1938年にはドイツの反ユダヤ大会に出席していたりしましたり

ともあれ、世界の有力な民族と手を組む政策はそれなりに魅力的ではあるんですが、誰かの味方になるというのは誰かの敵になることでもあるというか、ギャ〇ゲーに例えるとどのヒロインのルートを選んでも、必ず誰か他のヒロインがヤンデレ化して刺しに来るのが、この世界のゲームバランスと言う事なんですかしら…

結局中東問題には首を突っ込まないという選択肢をとったのは

間違いとは言えないでしょうね

うーん、でも四王天延孝陸軍中将になったあとに予備役となり衆議院議員としてトップ当選して、思想検事の研修会の講義で堂々と反ユダヤの講義をしているから、影響力は大きいかと。

陸軍内にもかれのシンパがいて、フグ計画は失敗するし、日本が反ユダヤのナチスドイツに近づいて破滅の道を歩んだ一員を少なからず作っていたとも言えるわけで。

ヒロイン全員と仲良く出来る、ハーレムルートは無いんですか・・・?

この手の話で大戦勃発直前からシミュレートするパターン多いけとっくに手遅れだっての

このスレは満洲利権を手放したらーって話題だから大戦直前じゃないのでは

あまり無茶な想定しなくても、素直にリットン調査団の勧告受け入れるだけで相当違うんじゃないのかな

あれは満洲国という独立国家設立こそ認めてないけど、日本の満洲利権そのものは容認していた訳だから

元々関東軍が日本政府無視して始めた満州事変だし、満洲国諦めることがそんなにハードル高いとは思えない…

妥協が一切なさすぎる

やっぱ、手放す時期で前提が変わるよね

元々関東軍が日本政府無視して始めた満州事変だし、満洲国諦めることがそんなにハードル高いとは思えない…

リットン調査団が報告書出す前に満洲国を正式承認しちゃってるので対面上引き返せない

既成事実は怖い

対面→体面

一度戦争に向かったら絶対に引き返せず制御不可能となるような国家システム

あれは満洲国という独立国家設立こそ認めてないけど、日本の満洲利権そのものは容認していた訳だから

原状回復(柳条湖事件前)と満州国の承認は無しだけど

「満洲には、支那の主権下に自治政府を樹立する。この自治政権は国際連盟が派遣する外国人顧問の指導の下、充分な行政権を持つものとする」

ってのが受け入れ不可能だった感じですかね

リットン調査団の報告書には

自治政府の執政は適当数の外国人顧問を任命すべくそのうち日本人が充分なる割合を占むることを要す。

という一文もあるから何とも言えないかな

実際に行政組織を立ち上げる際に日中で揉めそうではある

30年台後半に中共の勢力がもっと大きかったら、対中共戦への協力と引き換えに満洲国を国民党に認めさせて手を結べたかもしれない...と妄想

30年台後半に中共の勢力がもっと大きかったら、対中共戦への協力と引き換えに満洲国を国民党に認めさせて手を結べたかもしれない...と妄想

因果関係が逆

日本が満洲以外に手を広げ始めたのが第2次国共合作をもたらし、国民党の攻勢に押されていた共産党が息を吹き返した

満州事変の前段階で、1928年に奉天軍閥のトップだった張作霖=サンが関東軍の手で乗車中の列車ごと爆破されて暗殺されているんですが、一応それまでは日本とそれなりに協力関係にあった張作霖=サンにはIJA軍人の顧問さんも居て、氏の暗殺を関東軍に促したと述懐する、参謀本部付き武官だった佐々木到一氏の手記によると

「(張氏の)列車には予備大佐町野武馬、現役顧問儀我誠也大尉が乗り込んでいたが、臭いと思った町野は塘沽で下車、律義者の儀我だけは共に遭難して辛うじて命を助かっている」

…なんて事もあったんだそうで

張作霖=サン諸共吹き飛ばされるところだったこの奉天軍閥顧問だった儀我さん、爆破現場に駆けつけた奉天軍閥警備司令さんによると

「俺が乗ってるのと分かっているのに、吹き飛ばすとはひどい奴らだ!」

…とカンカンであったそうです

WW1での敗戦国側として国際社会から冷や飯を食わされてきたドイツが、いわゆる現状打破派として戦争しようとするのはまあわかる

しかし日露戦争でも勝利し、WW1でも協商国側に属していたはずの日本がわざわざ戦争しようとしたのはどうしてなんだろう?

日本は戦争していったい何を得ようとしていた?

この駆け付けた警備司令さんがまた元陸士27期卒の日本軍人で、奉天軍閥顧問に転職した口だったそうなんですが、儀我氏とのやりとりなどからもこれは関東軍の謀略と直感、敢て奉天軍を抑えて武力衝突を回避、事件を機に満州制圧にまで拡大しようYO!という関東軍の思惑が外れる一因を作っていたりもするんですとか

ともあれ、儀我氏の子息宗一郎氏によると、

「(事件後)ある軍人は父にこう語ったといいます。『おまえが列車に乗っていたことは、金鵄勲章ものだ。これで日本軍の仕業ではないというアリバイができた」

…とのことで、まあ満州の「外国人顧問」も楽ではないというか、下手すれば自分の祖国に謀殺されかねない、緊張感溢れる職場であったようです(棒)

因みに、当時奉天総領事代理であった森島守人さんの回想記に、

「当時張の現役顧問は土肥原賢二大佐と儀我の二人であったが、土肥原が(略)敬遠され勝ちだったのに反し、儀我は明朗な人となりのため(略)信頼を一身に集めていた」

「しかし中国側の信頼が厚かっただけ関東軍参謀間の評判が悪かったことは事実で、列車の爆破も国家の大事の前には、儀我一人位犠牲にしても己むを得ないとて、決行せられたのであった。私は(略)儀我と昵懇にしていたが、昭和12年華北事変発生後唐山で会見した折、その後軍部の気受けはどうかと尋ねたところ、この頃ようやくお叱りも疑惑も解けたらしいと苦笑していた」

…なんてあったりするんですが、唐山で森島氏と会見した際、儀我氏が翌年病死するまで務めていたのが、現地華北の「自治政権」である「冀東防共自治政府」の顧問であったそうです

「冀東防共自治政府」は満州に接する中国東北部に、1935年、日本の所謂華北分離工作の一環として成立した親日地方政権であったんですが、その成立に大きな働きを示したのが、かつて共に張作霖=サンの顧問を務めながら、先方にはウケの悪かったという、土肥原賢二サンであったりするんだそうで

「冀東防共自治政府」は満州および日本と、南京の蒋介石政府の課す関税を回避した「特殊貿易」を行い、満州国は華北に色々なモノをバンバン輸出して大儲け、華北地方は中国政府が課すモノより低関税で貿易できる…というウィンウィンな関係を築いて、一時非常に満州と華北の貿易は活性化するんですが、何故か関税収入が大幅に減収した南京政府の猛反発を買い(棒)

以降、南京政府との関係が悪化する原因となっているそうです

関税収入は南京政府の主要な財源であり、要は「相手の財布に手を出す」という、非常にヤバイ所に手を出しちゃったみたいなんですが、南京政府支援の立場を固めていた英米まで、以後日本への反発を強めていくわけですから、華北を取るという政策の収支は、貿易の利益を越えて、日本には赤字についたのかもしれないですな

余談ですが、1937年、遂に支那事変が勃発し、「冀東防共自治政府」でも保安隊の反乱により日本人顧問や居留民が殺害されているんですが(通州事件)、こうした緊迫する状況下で新たに動員されたの部隊の一つの連隊長だったのが、儀我さんであったりするんですとか

当時儀我連隊長(歩兵第30連隊)の部下だった、後勝さんの手記によると

「わが国は、居留民保護のため中国に出兵し、勢いの赴くところ、従来の不拡大方針も一擲され、わが連隊にも動員令が下った。時の連隊長は、中国問題の権威といわれた儀峨誠也連隊長であった」

「このとき連隊長は、『これは困ったことになった。参謀本部には石原(※莞爾)さん(略)がいるから、不拡大で抑えてくれると思っていたが、彼一人では抑え切れないのであろう』と、いかにも沈痛な面持ちで語られるのである」

「 当時若かった私は、中国軍、何するものぞと思っていたので、連隊長に尋ねたところ、『極東アジアの地は、北にはソ連、東と南には米英の強大国をひかえ、これらに対して日本は、独力で対抗することはできないのだ。どうしても蒋介石の国民政府と、協力する以外に道はない。そして困ったことに、わが国には中国を知っている人が非常に少ない』

「『中国は途方もなく人口が多くて土地が広い。いま、わが国が中国に兵を進めても、満州事変のように、短期間にこれを解決する国力はない』」

「『かつて天津事変のとき、中国軍の(略)議事録を手に入れたことがある(略)中国の主戦論者は、日支即時開戦すべしと言うものであった』と言われた」

「つづけて連隊長は、『(略)わずか数千名の日本の北支駐屯軍を(略)殲滅することは容易である。そのとき日本は(略)大軍を動員して、中国に侵攻して来るであろう。これに対して中国は、徹底抗戦をつづけながら(略)後退して持久戦を行ない、諸外国に支援を求める。このとき欧米列強は、日本が(略)中国を征服し、領有することを許すはずがない(略)日本を国際戦争に巻き込んで撃退し、勝利を獲得できる』と言う主張であった』」

「そして『わが日本としては、これが一番手ごわいのだ』と言われたが、まさに大東亜戦争(略)への、筋書き通りの予言であった」

「ついで儀峨連隊長は、連隊が北支に出征する前日になって、急に北京の特務機関長に転出され」

…たそうなんですが、遂に日中が衝突する中、叛乱の起こった親日政権に急遽顧問として派遣されることになった儀峨さんの内心、さぞ複雑であったんではないでしょうかしら…

日本は戦争していったい何を得ようとしていた?

こんなところ来るなら最低限その位知っておこうや

しかし「研究すればするほどわからなくなる」テーマでもある

一旗あげようって下士官の思惑からの深い考えなしの戦闘だったのでは?

考えれば考えるほどわからなくなる

超簡単に日本の戦争について

細かい事はしらん

こんなところ来るなら最低限その位知っておこうや

同じ日本の中でも組織によって思惑が違いすぎるからわけわからなくなるんだ

同じ日本の中でも組織によって思惑が違いすぎるからわけわからなくなるんだ

昭和の大日本帝国って、船頭多くしてー を地で行ってる感じだもんな

現地と政府の温度差も色々酷い

陸軍と海軍が仲悪いとか、組織間の縄張り争いや派閥争い

くらいなら、どこの国にもあるんだろうけどさ

事件は現場じゃなくて宴席で起きていたんだったりして…


長らく鎖国と固定した身分制度が続いたことにより

島国故の際立った天敵が国内に無いから思考や行動原理の均質化と

集団の和を乱しさえしなければ多少のことは目をつぶるという文化が生じ、

これを土壌として夢を語り、伝染させる手段としての宴会芸が発展

で、宴会を中核として無数の派閥が発生して

全体としてはどっかに向かってるんだけど細かく見ると

それぞれの派閥がそれぞれの夢ばっか追ってる、

みたいな空気になった、

という夢を見た


下戸の将官も居たから病的な反例は常にあるが

船頭多くしては得てして何処の国にもあるけど、最終的に船頭をぶん殴って止められる人が居なかったのが悲劇よね

出先の関東軍すら止められないんじゃどうしようもない

もし日本がなかったら今頃アジアはアフリカと同レベルだっただろう

戦後の東アジアの経済発展は、ぶっちゃけ「やべぇ、自分の支配下の国を資本主義で

経済発展させないと共産主義者に負けちまう」とアメリカに痛感させた

ソビエト連邦の脅威のほうが功績が大きそう。

ソ連が無かったら、文字通り日本は極東のスイスになる所だったし。

戦後の

あのー、戦前から日本はあったのですが????

もし日本がなかったら今頃アジアはアフリカと同レベルだっただろう

多分あまり変わらない

資本・技術・市場の3つの要素ではアメリカの存在こそ決定的に重要

満業総裁の鮎川氏が満州国への米国資本導入の為に交渉していた相手の一つに、ユダヤ系金融機関のクーン・ロープ投資銀行という所があるんですが、1937年頃から接触を始めた先方からの返答は、日本(満州国)が必要とする機械や設備の購入に融資を行う事についての交渉は可能であるものの、同行が米国市場で日本ないし満州国国債を売り出すことは、目下支那事変をめぐって悪化した対日世論を考えると困難である、というものであったそうです

当時のクーン・ロープ投資銀行の実質的な最高責任者であったルイス・ストロース=サンは1926年に日中及び満州を視察して、日本の支配地域が大きく発展している実情に触れており、またユダヤ人難民問題の観点からも、満州国との交渉に前向きであったそうなんですが、一方では同時期に、日本人の友人に宛てた書簡の中で

「中華民国は対米世論工作に成功しているのに対し、日本はソレに失敗している」

…なんて指摘しているそうです

実際、当時米国内では有力なユダヤ系市民団体「ユダヤ系米国人議会」の会長であるスティーブン・S・ワイズ=サンなどは、対中戦争最中の日本に対してユダヤ系米国人は支援を行うべきではない、という公式見解を打ちだして、大きな影響を与えていたんだそうで、こうした実情をよく知る自身ユダヤ人のストロース=サンとしても、満州国との提携を大っぴらに進める事は出来なかったみたいですな

因みにストロース=サンの経歴は中々興味深くて、ドイツとオーストリアからの移民を両親に持つストロース=サンは、貧しさから進学できず父の家業の靴のセールスマンとなるんですが、WW1時に食糧庁長官だったH・C・フーヴァー=サン(後の第31代米大統領ですな)の事務所の門を叩いて採用されると、メキメキと有能ぶりを発揮、たちまち側近に登用されているそうです

更に戦後、フーヴァー=サンの推薦で就職したクーン・ロープ投資銀行でも頭角を表し、1920年代末には同投資銀行の最年少共同責任者にのし上がる有能さで、その後大恐慌下でも、同銀行が生き残れた一因になる程の業績を上げているんだそうで

そんなストロース=サンは、また海外のユダヤ人難民の救済活動にも熱心で、1933年にはアメリカユダヤ人委員会の執行委員会のメンバーにも就任しているそうなんですが、一方ではガチガチのシオニストというわけでもなく、民族問題の軋轢を抱えるパレスチナへのユダヤ国家建設にはむしろ否定的で、大不況下でアメリカ本国がユダヤ難民救済に有効な手を打てない状況下で、アフリカや中国などにユダヤ難民の受け入れ先を求める活動を、自ら積極的に進めていたそうです

米国世論が反日に傾く時期に、こっそりとはいえ鮎川氏ら満州国との交渉に乗ったのも、そうした背景あっての事であったみたいなんですが、先述のようにWW2勃発によりこの話が立ち消えになった後、予備海軍将校の資格を取っていたストロース=サンが現役を志願、戦時中は海軍兵器局で兵站部門のオシゴトに携わるんですが、そこでもまたまた有能振りを発揮、海軍長官フランク・ノックス=サン及びジェームズ・V・フォレスタル=サンらからも高く評価されて、海軍少将にまで昇進していたりしましたり

また、氏の両親は共に癌で死去されているんですが、自身若いころは物理学に興味の有ったストロース=サン、治療法として放射線及び物理研究に多額の資金を拠出しているんですが、それが縁でWW後はトルーマン政権下で米国原子力委員会の初代委員にも任命されているそうです

そしてストロース=サンが同委員としてまず最初に押し進めたのが、気候偵察型のB-29を改造した機体による、大気圏内の放射線量の定期的な観測の実施計画であったんですとか

というのも、元々氏はWW1直後のロシアにおけるゴタゴタ以降、ガチガチの反ソ・反共主義者であったんだそうでして、その大嫌いなソ連が原子爆弾を保有することを何よりも恐れていたそうなんですが、実際に1949年、件の放射線偵察機がソ連における初の原子爆弾実験実施の証拠を捉えた後は、徹底して米国の核戦力増強論者として、より強力な核兵器(水爆)の開発と配備をトルーマン、および後任のアイゼンハワー大統領に「原子力顧問」の立場から訴え続けていたりします

ともあれ、貧しい移民の家庭からウォール街のリッチな金融マンにまで、アメリカンドリームそのものの立身出世を果した上、戦争中は海軍軍人として高位に昇り、冷戦期には大統領の原子力政策ブレーンとして反ソ政策を推進…という多彩な生涯を送ったユダヤ人ビジネスマンさんと、日本も一時期「満州国」を通じて関りが有った、ということになるみたいですな

残念ながら、結局戦前の日本は、その人脈や影響力を十分に活かすところまで行けなかったわけですが、もしフーヴァー・トルーマン・アイゼンハワーと時の大統領から強く信頼され、米実業界内で確固たる実績と地位があり、ガチガチの反共主義者でユダヤ難民問題から満州国問題にも理解がある知日派…というストロース=サンのようなユダヤ人人材ともっと早くから多くの強力な関係を築いて、ユダヤ人社会のみならず、米国の政財界や民意全体に影響力を行使してもらうだけの交渉力が当時の日本にあれば、或はその後の歴史の展開も、様相を変えていたかも知れないですねえ…w

「中華民国は対米世論工作に成功しているのに対し、日本はソレに失敗している」

だって、日本陸軍自身がユダヤ陰謀論なんて怪しい話にどっぷりつかっていながら、完全に逆の立場の「日本が世界征服の計画を天皇に上奏した」という「田中上奏文」に何の手を打たなかったんだよな。

怪しい話が好きで他人の噂をするのは好きだけど、逆に自分たちが噂されるのは鈍感ってことで…

戦前の日本は(特に昭和になってから)統一した国家戦略を描けてない

勝手に現場を動かしてるのが陸軍佐官レベルで、それを中央が統帥できない有様

まだ、その陸軍佐官が国のトップエリートだったからなんとかなってたけど、そうじゃない人間が勝手に動き出してぐちゃぐちゃになった。

米国世論の操作とかドリームオアドリームですわ

情けないことに現在の日本は支那共産党に世論操作されまくってますね

戦前は陸軍内で、そのソ連バージョンがやたら流行っていまして…w

ソ連の世論誘導がどうのこうのと。まあ、ホントにスパイがいた部分もあったんだけど、それは徹底的に追求すればよいだけ。

結局このスレのとおりに歴史が流れたわけですな。

航空自衛隊のトップの人がその陰謀論にハマってエライことになった事例もあるし。

経済発展させないと共産主義者に負けちまう」とアメリカに痛感させた

ソビエト連邦の脅威のほうが功績が大きそう。

でもさぁ、米が支援してうまく行ったアジア諸国の実例あんまりないでしょ

中国では国民党負けるし、韓国の李承晩は亡命しなきゃいけない有様で実質的な建国の父は旧日本軍 (正確には 満洲国軍) の朴正煕

東南アジアへの介入もインドシナ紛争、ベトナム戦争でgdgd だし…

戦後から今にかけてアメリカは世界中のあらゆる地域に何度も介入しているけど、その中で日本はそれなりにうまくやれたから...

今季全打席中一回はヒットのようなもの打ててるから...(震え声)

日本はアジア人で非キリスト教であっても欧米人並みに「出来る」ことを示したからなあ。もしこれが無かったら世界は違ってただろう。

でもさぁ、米が支援してうまく行ったアジア諸国の実例あんまりないでしょ

日本でのあまりにも上手く行きすぎた成功体験がむしろ邪魔になったんだと思う

ソ連の世論誘導がどうのこうのと。まあ、ホントにスパイがいた部分もあったんだけど、それは徹底的に追求すればよいだけ。

ゾルゲ→尾崎→近衛なんてルートが実際にあって摘発もされてるから、全くの嘘でもなかったしなぁ

近衛政権が南進論採択して石油禁輸になってしまった訳だが、それを全部ゾルゲと尾崎のせいとするのは歴史を単純化しすぎだとは思うけどさ